FLOWのサロンから少し歩いたところに、
聖路加国際病院があります。
そこにはチャペルがあって、いつも開放してくれています。
私はクリスチャンではないのですが、
時々、そこのチャペルにお邪魔して、
でただただ静かな時間を過ごします。
とても美しいステンドグラスがあり、
高い天井と、いつもほぼ人が居ないので、
無音の状態に近いのです。
音の無い、静寂の中。
祈りの場所。
ある人に、私は「祈りの人」と言われてたことがありました。
私にとっての祈りとは、実はあまり言葉を持っていないんだと気づきました。
願いはたくさんあります。
自分や家族や友達や、クライアントさん達、生徒さん達の幸せと健康。
世界の人達の心の平和など。
でも、ここに居て感じる祈りとは、そういった具体性が無いものかも知れないです。
何も考えていなく、
何の感覚にも心は向いていなく、
どうしたらいいとか、自分は何かなどということから一旦距離を取り。
自分で存在していながら、
そこに自分と自分でないものの区別が付かない状態。
それは深い瞑想状態なのでしょう。
今この文章を書きながら思うのは、
教会の中に居ながら、仏教的な「空」の世界であるのかと。
自分であることと、自分でないこと、どちらもが存在している。
それが私にとっての祈りなのかも知れないです。
こういったとても静かな時間を持つことは、
私の心を豊かに平和にしてくれます。
セラピストとして、私にとって必要な時間なのではないかと思います。